まどろみと夢の間

暗示にかかる=望んでいる内容 か

暫く催眠音声やDIY等について書いておりましたので

今回は催眠について、少し書きたいと思います

(あくまで個人の考えであるというもとで読んで頂けますと幸いです)

 

結論は一番下にございますが

できれば上から読んで頂けると幸いです。

 

さて、今回の題名である

「暗示にかかる=望んでいる内容か」

主語を付けますと

「被験者がかかった暗示は、全て被験者が望んだものか」

ということです。

 

A~Cまでの暗示があり、Bという暗示はちょっと受け入れがたい...

という内容であったとします。

ただし、A~Cまでの暗示が隣接しており、同時に受け入れざるを得ないものであり、AとCは自分にとって大変嬉しい暗示、だとしましょう。

この状態で、嫌な暗示も一緒に入ってしまうことは有るのでしょうか。

 

丁寧に誘導しなければなりませんし、そもそも望んでいないのでそうそうは入らないですが(という体ですが)

これは、あります。 

 

具体的な方法論には踏み込みませんが、手順を終えば可能です。

ざっくり言えば

仕方がなく2年縛りの携帯契約を結んで、

本体代を無料にして貰うようなものです。

 

結果を見れば、すべての暗示が入っている。わけですが

当人にとってみれば

Bという暗示は単体では望んでおらず、AとCによる魅力がBのデメリットを上回っているから入っている状態になります。

 

それを

暗示が入ったのはあなたが望んでいたからである

とするのは、極論ではないでしょうか。

 

心の奥底で、燻っているものは誰しもあるはずです。

あくまで隅っこで思っているだけであって

日常の会話で出てくることはありませんし

実際に行動することもないでしょう。

 

 

それを抓まれて指摘されるのは、複雑な心境だと思います

 

催眠で施術者に求めていたことはそうじゃないし、

他の事は心地よかったけど(暗示A,C)

本人が嫌だったと伝えた暗示を正当化されても困るわけです。

 

ある程度の信頼関係があるから、成立していたと思っていたけれど

困ったことを伝えたら、全て被験者の責任されてしまう。

それは、被験者の方からすれば、どうなのでしょう。

 

あまりに一方的なコミュニケーションではないでしょうか

 

常々書き連ねていますように、

催眠は繊細な領域を扱うものだ と思っています。

言葉を受け入れて頂いて、心地よい状態を楽しんで頂いて

催眠とは被験者の方があってこそ、成り立っています。

 

 

施術者として

催眠術を行った後に、被験者の方から嫌な事があった。

と伝えられた際、言わないまでも

「でも入ったって事は、望んでたってことでしょ?」

という事をもし、仮に、思う事があったとしたら

 

こう、なんというかですね

 

少し立ち止まって、何かを考えてみても良いかもしれません

催眠の暗示がはいる要因は、望むこと単一なのでしょうか。

本人が望めば、全ての暗示が入るという事なのでしょうか...

 

 

結論としましては

 

暗示にかかる≠望んでいる内容

 

だと思います。

 

施術者の方は、どうか被験者の方を大切にしてください

被験者の方は、ぜひ、施術者の方に嫌な事を含め感想をお伝えください

 

そうすればお互い、もっと楽しくなると思いますよ!

楽しく、悔恨無く。催眠するのが、きっと一番ですからね。

 

おしまい